旧羽幌炭鉱に命を吹き込む人 工藤俊也さん(羽幌町)

 留萌管内羽幌町の山間にひっそりと眠る旧羽幌炭鉱跡。
築別坑•羽幌本坑•上羽幌坑から成るその一帯は閉山後、草木に埋もれ、自然に還らんとしていた。 このヤマで生まれた工藤俊也さんは、自らヤマの案内人として、在りし日のヤマの姿を伝え続ける。

旧羽幌炭鉱を案内する、ヤマ(炭鉱)の案内人工藤さん

旧羽幌炭鉱を案内する、ヤマ(炭鉱)の案内人工藤さん

幌炭鉱は昭和15年の開業。翌16年の太平洋戦争勃発から、昭和20年の終戦という時代背景の中、 昭和45年までの30年間にわたり、良質の石炭を掘り続けた。築別坑•羽幌本坑•上羽幌坑の三つのヤマでは、 閉山間際には1万2千人に達する程のヤマの男達と家族らが暮らした。ヤマは羽幌町中心部よりも賑わいを呈していた。 映画館では東京と同時期に映画が封切りされ、劇場には当時の大スターであった三波春夫や宝塚も公演に訪れたほどである。
昭和34年生まれの工藤さんは4歳になるまでを、家族とともにヤマで過ごした。 父親は羽幌本坑の木材会社に勤めていたのだ。ヤマでの記憶は工藤さんにとっては明るい記憶ばかりだ。 床屋での散髪、父母と行った劇場、行き交う人で賑わう炭坑住宅の中小路。 ひと際印象に残っているのは、新築された羽幌本坑の第二選炭工場見学会の光景だ。 父に抱かれ人の波に押されながら進んだ先には、塗りたてのペンキの匂いと、蛍光灯のまぶしいくらいの光。 なにもかもが最新式の機材が設備されていた。だが、炭鉱はまもなく閉山となった。

れから40年余りがたった今、工藤さんは地元羽幌町でタクシー会社の社員として車両運行を管理する仕事をしている。
運転手時代にお客さんを羽幌炭鉱へ案内したのをきっかけに、自分のルーツともいえる羽幌炭鉱の産業遺産を訪ね歩くようになった工藤さん。 膨大な資料を丹念に調べ上げ、協力してくれる仲間の助けもあり、手作りの炭鉱マップを完成させた。 今や、炭鉱跡を巡る「羽幌炭鉱•三炭周遊コース」は今では羽幌観光の人気の一つとまでになっている。

産業遺産ともいえる選炭工場跡

産業遺産ともいえる選炭工場跡

れまでに50組以上のガイドを務めた工藤さんには、 今も忘れられない出会いがある。終戦後まもなくヤマを去った元炭坑夫とその家族を案内したときのことだ。 当時、暮らしていた炭坑住宅街にさしかかった時、草むらを指さし「あそこは銭湯だった」と呟く彼の指指す場所へ、 草をわけて向かった工藤さん。そこで発見したのは、確かにそれらしき痕跡であった。その後も集会広場、 食堂、スキー場のあった場所を辿った。当時の暮らしぶりまでをまるで今、そこにあるように語るひとりの老人の姿に、 ヤマの記憶を留める者として共感する瞬間を過ごした。

マには確かに人の営みがあった。
 「羽幌炭鉱は第二の故郷」だからこそ、朽ち果てて土に還ろうともなお、工藤さんにとって、そしてヤマで生きた人々にとって、消えることのない場所なのだ。

羽幌炭鉱の石炭袋(羽幌町郷土資料館所蔵)

羽幌炭鉱の石炭袋(羽幌町郷土資料館所蔵)

2011年春に行われたモニターツアーで案内をする工藤さん

2011年春に行われたモニターツアーで案内をする工藤さん

※ヤマ…炭坑の俗称

工藤俊也さんプロフィール

工藤俊也(くどうとしや)さん
昭和34年生まれ 羽幌町出身
株式会社沿岸ハイヤー勤務

「羽幌炭鉱•三炭周遊コース」は下記へお問い合わせください

〒078−4103 北海道苫前郡羽幌町南3条2丁目
株式会社沿岸ハイヤー
TEL:0164−62−1551