林 豊行さん 命の重みと向かい合う(苫前町)

 留萌管内の中部のマチ、苫前町(とままえちょう)で理容院を営む林豊行さんは、鹿撃ちといえば、林さんというほど名の知れたハンターである。エゾシカや熊を駆除する地元の猟友会の代表も努める。
 林さんが生まれた地は、苫前町字三渓(さんけい)。ここは山深く人里離れた場所である。三渓の地には、開拓時代の忘れ得ぬ出来事がある。大正四年十二月九日、原生林を開墾するため入植していた集落を一頭の羆が襲い、女性や子供十人が殺傷された。世界最大の羆害(ゆうがい)事件と伝えられている「三毛別羆(さんけべつひぐま)事件」である。後に、作家吉村昭が小説『羆嵐』として著し映画化もされた。

藻場の再生を信じる相馬龍平さん。

地元の床屋さんとして慕われている林さん。
理容師として、ハンターとして、地元から頼りにされる存在だ

人との出会い
 林さんは三渓の水田農家に生まれた。三渓は古丹別から南に12km離れた山間部にある地区だ。子供の頃から、周囲の大人達が語る大正時代の羆事件を耳にして育った。実際、小学生の頃には家の裏手で羆に遭遇したこともあった。子供の頃は雀が貴重なたんぱく源だったため、見よう見真似で空気銃で雀を撃つようになったという。ある日、地元で熊撃ちで有名な大川春義さんに声をかけられた。大川さんは幼い時に、羆事件で仕留められた羆を実際に見て、被害にあった住民の霊を慰めようと羆撃ちになった人物であり、生涯で百頭あまりの羆を仕留めた名人だった。「羆撃ちにつれてってやる」林少年は『鉄砲の春さん』の異名をとる大川さんに誘われた。「羆はどんぐりが好きだから、たくさん拾っておけ」子供心にも冗談とわかっていたが嬉しかった。だが、数十年後、林さんは大川さんに猟の手ほどきを受けることとなった。

大川さん親子から譲りうけた猟用刀

大川さん親子から譲りうけた猟用刀

を獲(と)る者として
 手に職をつけるため、林さんは理容師の道へ進み、札幌、横浜で修行を重ねた。25歳で地元に戻り理容店を開業した。同時期に猟友会に入り、大川さんと息子の高義さん親子を狩猟の師と仰いだ。
 その二人も既に他界したが、大川さん親子が代々使ってきた猟用刀を形見として受け継いだ。常に手入れをし、猟には肌身離さず持ち歩いている。

今は使うことはないが、林さんはいつも手入れをして猟用刀を大切に保管している。

今は使うことはないが、林さんはいつも手入れをして猟用刀を大切に保管している。

野生動物と人間の共存は課題の一つだ。

野生動物と人間の共存は課題の一つだ。

 現在、林さんは駆除目的以外で、動物を撃つことはない。羆よりも、農家などからの要請でエゾシカの駆除を行っている。
 「3月から8月の出産、子育て時期の鹿は撃たない」と公言する林さん。乳離れした子鹿が、群れの中で生きられる時期までは、親鹿の命を奪わないというルールを自分に課している。
 そして、大川さんら先人達が熊の亡骸に米や酒を供え弔った姿にならい、欠かさず動物達の供養を行っている。鹿も人間も同じ動物。その命を獲る重みと痛み、野生動物との共生という命題に向きあう林さんだ。

林さんのブログ「北の狩人」 http://plaza.rakuten.co.jp/hantaa/

プロフィール  林 豊行(はやし とよゆき)さん

昭和24年生まれ 苫前町出身
『とこやはどこやここや』店主
苫前町猟友会会長
〒078-3621 苫前町字古丹別194